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燃えよ剣36

发布日期:2022-10-20 12-13-26文章来源:易学国际教育文章原创作者:小易浏览次数:50
信息摘要:
菊章旗その日。——というのは、この年(慶応二年)九月二十六日の朝のことだが、花昌町屯営の廊下を歳三が歩いていたとき、参謀の伊東甲子太郎とすれちがった。「やあ」伊東は、いつもよりばかに愛想がいい。名古屋から帰ってきて、数日になる。「すっかり」伊東は、軒のむこうの空...
菊 章 旗
その日。—— というのは、この年(慶応二年)九月二十六日の朝のことだが、花昌町屯営の廊下を歳三が歩いていたとき、参謀の伊東甲子太郎とすれちがった。 「やあ」 伊東は、いつもよりばかに愛想がいい。 名古屋から帰ってきて、数日になる。 「すっかり」 伊東は、軒のむこうの空を見あげて、 「晴れましたな」 といった。 「左様」 歳三にがい顔である。二条河原で七里研之助らの刺客をさしむけたのはこの伊東であることは、すでに証拠があがっている。 が、歳三は近藤以外には秘していた。 隊中の動揺がこわかったのである。 「豊玉宗匠」 と、伊東は、雅号で歳三をよんだ。たれかからきいたのだろう。 「句にはいい季節ですな。ちかごろ、そのほうはいかがです」 「いや、駄句ばかりです」 「私のほうは歌ですが、昨夜、一穂《いつすい》の灯《ひ》に対坐していると、思いがつのってきて、一首できました。きいていただけますか」 「どうぞ」 伊東甲子太郎は、欄干に寄りかかり、半顔を庭にむけた。多少の道中焼けはしているが相変らず秀麗な面持《おももち》である。
  身をくだき 心つくして黒髪の みだれかかりし世をいかにせむ
「いかがです」 「なるほど」 歳三は、表情を変えない。黒髪のごとくみだれた世をどうまとめよう、という伊東の志士らしい苦心はまあわかるとして、「いかにせむ」という|策《ヽ》のなかに自分を殺すことも入っているのだろう。あまりうれしい歌ではない。 「もう、土方さん、高雄(紅葉の名所)や嵐峡《らんきよう》は、色づいているでしょう」 「でしょうな」 「一度、いかがです。隊務から離れて洛外へ吟行に出られては——。私もお供します」 「結構ですな」 「近藤先生もたまには御清遊なさるといい。いつにします」 「さあ、それもいいが」 それもいい。高雄も嵐峡もいいが、しかし行って見ると、とんでもない伏兵がいて、紅葉狩りどころの騒ぎではなくなるのではないか。 「考えておきます」 行きかけると、 「あ、そうそう、土方さん」 と、その背中へ、伊東が思いだしたように声をかけた。 「今夜、おひまですか」 「吟行ですか」 「いや、左様な風流|韻事《いんじ》ではない。折り入って御相談申しあげたいことがある」 (来たな) 歳三はおもった。 「なんの御相談です」 「それはそのとき申しあげます。いまから近藤先生にも申しあげに行きます。場所は、できれば遊里でないほうがいい」 「興正寺屋敷にしますか」 近藤の休息所である。大坂新町の遊女|深雪《みゆき》大夫を落籍《ひか》せてかこってある。 「結構です。時刻は、何字《なんじ》がよろしい」 「左様」 歳三は、袂《たもと》時計をとりだした。最近手に入れたフランス製のもので、歳三の大きな掌の上でちゃんと針が動いている。 「五字がよろしいでしょう」 ちょっと微笑をした。べつに伊東の申し出がうれしいのではなく、時計をみるのがうれしかったのだろう。 伊東は、不快な顔をした。 これも土方が不快だというより、極端な攘夷論者の伊東は、その洋夷の時計が見るもけがらわしい、とおもったのである。
歳三は、定刻より一時間早く、近藤の屋敷へ行った。 近藤は、二条城から下城して、屯営には寄らず、そのまま帰っている。 「歳、なんの話だろう」 「脱盟だね、いよいよ云いだすのさ」 と、すわった。 近藤の妾が、茶を運んできた。 上方《かみがた》にはざらにある容姿《かおかたち》で、色白で眉がうすく、しもぶくれの前歯の大きな女である。そこが東国人の近藤の気に入ったものだろうが、歳三は、こんな女はすきではない。 (江戸の女は、浅黒くて、猪首で、そばっかすがあったりするが、もっときりっとしているよ) 例のお雪を、ふとおもった。 「おいでやす」 ゆっくりと頭をさげた。べとべとした女臭い声で、こういう声も、どうもやりきれない。 妾が、ひっこんだ。 「おれは信じられんな、伊東とは武士として約束をかわしてある。離脱ということはあるまい」 「なんだか知らないが、おれァ、斬られかかったんだぜ」 「聞いた」 近藤の表情は冴えない。七里研之助の一件に、伊東がつながっているとは、さすがに信じかねているのだろう。 やがて、本願寺の太鼓がきこえてきた。五時である。 玄関で、人の声がした。 「おい、多数だよ」 近藤は気配を察していった。 「そのようだな」 「まさか歳、ここでわれわれを斬り伏せるつもりではあるまい」 「斬り伏せられるあんたか」 「あははは、そのとおりだ。近藤、土方が、やみやみ斬り伏せられる手合ではない」 ——御免。 と伊東甲子太郎がふすまをあけた。 つづく者は、篠原泰之進。 それだけかとおもうと、伊東の実弟の九番隊組長鈴木|三樹三郎《みきさぶろう》、監察の新井忠雄、この男は剣をとれば新選組屈指の腕である。 つづいて伍長の加納★[#周+鳥]雄、監察の毛内《もうない》有之介(監物)、伍長の富山弥兵衛。 「これだけかね」 と近藤がいったとき、最後に意外な人物が入ってきた。 八番隊組長藤堂平助である。 (あ、こいつもか) 近藤と歳三の表情に、同時におなじ翳《かげ》がはしった。 藤堂は好漢を絵にかいたようなおとこで、近藤、歳三とも、身内のように愛していた。 げんに、江戸結盟以来の同志である。藤堂は流儀こそ千葉門の北辰一刀流だが、近藤の道場には早くから遊びにきていた。 そもそものはじめ、——つまり幕府が浪人を募集しているということをききこんできて応募を近藤、歳三にすすめたのも、死んだ山南敬助とこの藤堂平助である。 考えてみれば、どちらも北辰一刀流の同門であった。 いや、伊東甲子太郎も。 (なるほど、同門意識というものは、ここまで強いものか) と、歳三はおもった。 むろん藤堂平助は平助でかねがねおもっていたのであろう。新選組の中核は、近藤、土方、沖田、井上(源三郎)といった天然理心流の同流同郷の者が気脈を通じあい、他の者に対しては、どこか他人であった。これが同志といえるか。 (ばかにしてやがる) 藤堂侯の落し胤という伝説のある江戸っ子の平助には、その野暮ったさがやりきれなかった。 早くから、同門の先輩の山南敬助にはこぼしていた。山南も同感であった。 (所詮、生死は共にできない) と、山南などはいっていた。もともと山南は勤王心がつよく、幕府には多分に批判的であった。 これは千葉の門の塾風で、藤堂平助もその気《け》はある。山南の感化によっていっそうつよくなり、江戸で塾の先輩の伊東甲子太郎を勧誘して加盟させたのも、藤堂平助である。 そのときすでにこんにちの密約はあった。ただ途中、山南の脱走・切腹によって一|頓挫《とんざ》しただけのことである。あのとき、山南が無事江戸へ帰ったとすれば、江戸で同志をあつめ、東西呼応して伊東のもとに強力な新団体をつくったであろう。 近藤、歳三は、藤堂平助という若者を見誤った。 平助は武士というよりも、江戸の深川の木場などで木遣《きや》りを唄っているほうがふさわしい|いな《ヽヽ》せ《ヽ》なところがあった。 だから、たれからも好かれた。 まさか、この部屋で伊東とならんですわるほどの|思想《ヽヽ》家《ヽ》とはおもわなかった。というより、これほどの策謀のできる男だとはおもわなかったのが、油断であったろう。 (おどろいたな) 歳三は、しかし、例のねむったような表情でいる。 (時勢だ、見かけはそうでないものまで、時の勢いへかたむく) 幕威は日々に衰えつつある。天下の志士、比々《ひひ》として侮幕、討幕論を説かざるはない、という形勢になっている。腹に五月《さつき》の風が吹き通っているような藤堂平助でさえ、こういうことになるのであろう。 「平助、君は——」 近藤は、にこにこしていった。 「やはり伊東さんとおなじ御用かね」 「そうです」 藤堂は、首筋をかいた。そんな癖のある、一見無邪気な男なのである。 「みなさん、お平らに」 近藤は、ちかごろ、如才がない。諸藩の公用方と、祇園などで茶屋酒をのんでいるせいだろう。 「さて、伊東さん、伺いましょう」 「申します。きょうは、腹蔵なく天下の大事を論じ、隊の今後の行き方を検討したいと存ずるので、時に言葉が矯激にはしるかもわからない。御両所、あらかじめお含みおきくださるように」 「どうぞ」 近藤は、微笑をひきつらせた。 「土方さんもよろしいな」 「ああ、結構です」 と歳三はいった。 そのあと、伊東は天下の形勢をとき、さらに例をシナにとって夷国の野望を説き、 「もはや弱腰の幕府では日本を背負えぬ。政権を朝廷に返上し、日本を一本に統一して外夷にあたらねば、日ならず、清国のごとく悲惨の目にあうだろう。新選組のそもそもの結盟趣旨は攘夷にあった。ところが世上のうわさには、幕府の爪牙に堕しているという。爪どころか、幕臣に取りたてられるといううわさがある。おそらく事実でないと私は信ずるが、近藤先生、如何」 「———」 「いかがです」 「私も、そのうわさはきいている」 近藤は、苦しそうにいった。 きょうも、二条城でその話があり、近藤も伊東一派の意向をきいてから、ということで確答を保留してきているのである。 「単にうわさですか」 「さあ」 「いや、よろしい。問題は今後の新選組のことだ。天朝様の親兵として、また攘夷の先陣《さきがけ》として働くかどうか」 近藤は、頑として佐幕論をとった。 「拙者は、天朝様を尊崇し奉っている」 といった。当然なことで、だからといって近藤が尊王絶対主義者にはならない。尊王論は当時の読書階級の武士はおろか、医者、僧侶、庄屋、大百姓にいたるまでのごく普遍的な概念で、政治上のイデオロギーではない。 「しかも、あくまでも、攘夷をつらぬきとおすつもりでいる」 これも当然なことだ。当時開国論を唱えていたのはよほどの先覚者で、奇人か、国賊あつかいにされていたのである。 「が、伊東さん」 ここからが、近藤の所論だ。 「武権は、関東にありますよ」 「それは」 「いや、その武権も、東照大権現(家康)いらい征夷大将軍ということで、朝命によって命ぜられた御役目である。現実にも、三百諸侯を率いて立っている徳川幕府こそ攘夷の中核たるべきで、聞くところではフランス皇帝でさえそれを認めている」 「ははあ、フランス皇帝も」 伊東は、近藤の飛躍におどろいた。第一、フランス皇帝うんぬんをもちだすことからして|攘夷《ヽヽ》的《ヽ》ではなく、幕府のなしくずし開国外交に同調している証拠ではないか。 「土方さん」 伊東は視線をゆっくりまわした。 「あなたはどう思われます」 「おなじさ」 面倒くさそうにいった。 「なにと?」 「ここにいる近藤勇と、ですよ」 「佐幕、ですな」 「さあ、どんな言葉になるのかねえ。私は百姓の出だが、これでも武士として、武士らしく生きて死のうと思っている。世の移りかわりとはあまり縁のねえ人間のようだ」 「つまり、幕府のために節義をつくす、それですな」 「それ」 一言、いった。 あとは、なにもいわなかった。こういう時勢論や、思想論議は、あまり得意なほうではない。 夜が更けた。 両論対立のまま、別れた。
翌日、伊東甲子太郎と篠原泰之進は、最後の談判をするため、ふたたび興正寺下屋敷で、近藤と歳三と会合した。 「御両所」 一本気な篠原が眼をすえた。 「いい加減に眼をさまして頂けんか。きょうは、御両所の眼がさめぬとあれば、われわれ一同、隊を割って独自の道を進む覚悟できた」 ——篠原泰之進(維新後、秦林親)の当夜の手記が残っている。 「また翌二十七日夜、余が輩、罷越《まかりこ》し、今夕彼等服せずば、首足《しゆそく》、処《ところ》を異《こと》にせんと」 その場で、近藤、土方を斬るつもりでいたのだが、相手に隙がなく、斬りつけるにいたらなかった。 「(余)憤心頭髪を侵すの勢にて議論せしも、なほもつて、(かれらは)分離を沮《はば》み、服せず。彼等(近藤・土方)徳川の成敗(ここは失政という意味か)を知らず、勤王の趣旨を解せず、ただいつに、武道をもつて人を制せんとするのみ」 と近藤と歳三の本質を衝き、さらに伊東がその論才を縦横に駆使して二人を追いつめ、 「終《つい》に余が輩(わが派)の術中に陥入り、分離論に服す」 本当に服したかどうか。 とにかく両派は、袂《たもと》をわかつことになった。 とはいえ、伊東らがすぐ新選組を去ったわけではなく、しばらく屯営に起居していた。 この間隊内大いに動揺し、ぞくぞくと伊東派への共鳴者が出た。 暮夜、ひそかに歳三は近藤の真意をたずねた。近藤は、だまって、愛用の長曾禰虎徹のツカをたたいた。 歳三はうなずいて、からっと笑った。 これを篠原の手記風の文体で書くと、 ——喋々ヲ要セズ、剣アルノミ。 というところだったろう。 新選組実動部隊は、十番隊まである。そのうちの八番隊、九番隊の指揮官藤堂、鈴木が脱けたことになるのだが、この伊東、篠原の離脱声明の翌々日、はやくも動揺があらわれ、意外にも伊東派とさほど親しくなかった武田観柳斎が、単独離脱した。 伊東は薩摩藩と親しい。薩摩藩との渡りがついたので離脱を表明したようなものである。武田は武田で、別個に薩摩藩に接近していた。 「武田君は、近頃薩摩藩邸にしきりと出入りなさっているそうだが、時節がら結構なことだ。いっそ、そちらへ参られてはどうか」 と、近藤は、隊の幹部をあつめて送別の宴を催し、夜、屯営の門から武田を送り出した。 隊士二人に送られて、武田観柳斎は花昌町を出た。 隊士のひとりは、斎藤一。 竹田街道|銭取橋《ぜにとりばし》までさしかかったとき斎藤、抜く手もみせず、武田の胴を斬りあげ一刀で即死させた。 ——脱隊は、死。 隊法は生きている。 武田観柳斎の斬死体は、伊東派に対する近藤と歳三の無言の回答といっていいし、戦いの宣言ともいえた。 その年の暮、孝明天皇崩御。 翌慶応三年三月十日、伊東派は、その御陵|衛士《えじ》という役を拝命し、高台寺の台上に菊花紋章の隊旗をひるがえして本陣とした。 隊名は優しいがじつは勤王派新選組というところだろう。 (戦さだな) 歳三はこの日、和泉守兼定の一刀を研《と》ぎにやった。
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